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「おめでとう!」
「お幸せに。仲良くな!」
 色とりどりの紙吹雪が、9月の澄み切った青空に舞い上がる。
 純白のウェディングドレスに身を包んだ美しい花嫁が、嬉しげに頬を染め、口々に祝いの言葉を掛ける周囲に会釈を返している。腕を組んで寄り添う年若い新郎も、照れくさげではあるが、ひどく嬉しそうだ。それも当然と言えるだろう。今日は、彼らの人生で最良の日となる筈だ。幾度となく今日を振り返り、微笑み合いながら懐かしげに語り合うのだろう。良き人生だった、と。


「ほんと、天気良くてよかったよな!」
 脇に立つ本多が、我がことのように嬉しげに笑いながら、チャペルの階段を降りるふたりを見つめている。日本人離れした体躯に合うフォーマルがよくぞ見つかったものだと幾分皮肉交じりに見上げれば、克哉の笑みを同意と受け取って、なおも嬉しそうに続ける。
「チャペルの式は、晴れてこそ、だろ? 俺、一週間も前から天気予報のチェックしちゃったぜ」
 相も変わらず気のいい友人は、まったく他人にもかかわらず今日の心配をしていたらしい。外見に似合わぬ本多の小さな気遣いが微笑ましく、克哉は今度こそ、長年の付き合いである彼に心から同意してやった。
「ああ。そうだな。雨の結婚式ほど憂鬱なものはない」
「だろ? あれってさ、出るほうもなんとなく気が重いんだよな。花嫁さん達は尚更だろうぜ」
「まあ、ジューンブライドに拘らなかった点は、あのふたりを褒めてやれる」
 片眉を上げて嘯いてやれば、『まったく、お前は相変わらずだな……』と口を尖らせた後、本多は諦めたように笑った。克哉が眼鏡を掛けてからこっち、長年付き合ってきた筈の親友とどこか違うと感じているだろうに、それでも本多はなにくれとなくやってきては克哉と関わろうとする。それが時に鬱陶しくも感じるが、「今の」克哉を受け入れることが出来た、その点に限っても、こいつはなかなか大物なのだろうと思う。
「彼女さ、キクチを辞めるらしいんだ。専業主婦になるんだと。まあ、営業やりながら主婦ってのはきっついかもしれねえけど」
「じゃあ、お前の所はまたひとり、結婚出来る可能性を失った男が居るというわけだ」
「……茶化すなよ。彼女が大学時代からあの年下の彼氏と付き合ってたのは、お前だって知ってただろう? 俺達なんて、はなから眼中に無かったんだよ」
「お前は結構気に入ってたんじゃないのか? 可愛いとか言って騒いでいた覚えがあるが」
「ば、馬鹿言うな。俺はただ、彼女はよく気が付く子だなって思ってただけだぜ」
 言って本多は、不自然に目を逸らした。本当に分かりやすい男だ。
 確かに、本多が心底彼女に惚れていたということはないだろう。克哉の記憶にあるだけでも本多に彼女が居た期間というのは短いが、誰かの恋人を奪ってまで……というタイプではない。ただ、本人に自覚が無いだけで十分面喰いの素質がある本多は、美人に弱い一面を持っているのも嘘ではない。
 ……最近はその傾向が顕著に表れ、眉目秀麗を絵に描いたような克哉のパートナーをさりげなく褒めることが多くなった。アクワイヤのオフィスに現れるのも、半分以上は社長の克哉というより専務の御堂を訪ねてのことで、物腰の柔らかくなった元上司と交わす仕事の遣り取りも随分と弾んでいるように聞こえる。
 そこまで考えるうち、克哉は今日何度目か解らないひそやかな溜息を漏らす。こんな快晴の休日に、美しい恋人をひとり置き去りにしてしまったことが心底悔やまれた。決算月ともあって、ふたりとも碌々休みらしい休みも取れずに居た今月。偶然のように空いた御堂のスケジュールは、折しも祝宴のために確保していた克哉のオフとしっかり重なってしまったという訳だ。何故このタイミングで……と、今年初めて銀行との調整役を任せた藤田を呪いたくなった克哉である。

『……欠席の連絡は、いつまでに入れれば間に合うんだ』
『馬鹿を言うな、佐伯。祝いの席だろう。自分の都合で、相手に不愉快な思いをさせるんじゃない。もう、明日の話じゃないか』
 今にも式のキャンセルをしかねない勢いの克哉に、社長室で御堂が諭すように声を掛ける。憮然としたままの克哉にふっと笑みをこぼし、己の席から立ち上がると克哉の頭をスーツの胸に抱き寄せる。
 エグゼクティブチェアに座ったままの克哉は、仏頂面を隠そうともせず御堂に身を寄せた。ふ、と御堂が笑む気配がする。稀にしか見せない克哉の子供じみた表情を、喜ぶ時の仕草で。
 社員達も全員帰宅した、静かなオフィス。
 もう、いくつこんな夜を過ごしただろう。
 御堂とふたり、肩を並べて書類を睨み、企画書を抱えたまま夜を明かす。プロジェクトを成功に導こうとするあまり、激しい口論になった夜もある。互いに譲らぬふたりは、いくつもの諍いを経験し、探り合い、許し合いーー許す回数が一方的に御堂が多いのは申し訳ないが事実だーー、愛し合ってきたのだ。
 再会してから経た月日。公私共、克哉の傍らで支え続けてくれた温もりに、幾度の夜を迎えても恋心は増すばかり。抱くたびに覗く艶やかな顔はどこまでも克哉を魅了し、ふとした瞬間に垣間見える少年のような表情は、克哉の一番綺麗で穢れのない場所に住みついてしまう。
 深く御堂に許される安堵と、焦がれるほどに増す喪失への恐れ。相反する想いを抱きながらも、御堂を恋うる気持ちを止める術など持たない。
『私のことは気にしなくていい。君の居ない休日も、たまにはいいものだ』
『……愛する恋人の不在を、寂しく思ってはくれないんですか?』
『もちろん……寂しくない、わけではない。しかし……』
 言い淀んだ紫黒に光る瞳を覗き込めば、気まずそうに克哉の視線から逃れようとする。そんな時の御堂は、殊更に美しい。頬に朱を上らせて俯く様は、このまま情事に溺れる時間を誘うかのように魅惑的だ。
『そんな理由で君を引き止めたら、私は身勝手な自分自身に失望してしまうだろう……』
 己を断罪するように言い切って、御堂は克哉の頭を更に強く引き寄せた。
 スーツが皺になるのも構わず、羞恥の表情を隠すかのように。
 速まる鼓動を聞きながら、克哉はしなやかな腕に暫しの間、酔いしれた。恋人の腰に手を回しひとしきり抱擁を交わした後、安心させるかのように柔らかなひとさし指の先を弄ぶ。
『解りました。行ってきますよ。でも、帰ってきたら……眠る間も無いくらいに抱いてあげますから、しっかり休んでおいて下さい』
『馬鹿……。神聖な式に呼ばれてるんだぞ、君は』
 詰る口調で、ぎゅっと指の先を抓られた。
 しかし、痛てて、と大げさなほど眉をしかめた克哉の眉間を軽くつついて、御堂が楽しげに破顔する。
 
 

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