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 MGN企画開発部の執務室で、御堂は大きなため息をついた。
 通常、あまり喜怒哀楽を表に出すことのない男であったから、第一室に籍を置く部下達もここ最近の御堂には驚きと困惑を隠せずにいる。
 何かを思案するような顔をしているかと思えば、時には眉根をきつく寄せて、目を閉じる。
 もともと、過ぎるほど顔立ちの整った御堂だ。能面のように表情の無い様には、いっそう近寄りがたい雰囲気があった。
「何を考えているんだ。大隈専務は……」
 彼の懊悩の元凶は、もちろん佐伯克哉、その人に他ならない。


 キクチマーケティングが、巨大な負債を抱えていたという理由から、MGNに切り捨てられる話になっていたのはもちろん知っていた。
 プロトファイバーの統括マネージャーでもある御堂には、暗雲の垂れ込め始めた矢先には、大隈から内密の話があった。もちろん、後の商品展開についても、大隈と詳しく詰めてある。キクチの8課の並々ならぬ働きにより、プロトファイバーは定番商品となりつつあった。もはやワンシーズンで終わる商品とはなるまい。
 ここまでくれば、どの部署に渡しても問題無しと思い、また御堂個人の問題としても、キクチと手が切れるのは有り難かった。キクチの倒産にキナ臭いものを感じていても、今の御堂にそれを言及する気は無い。MGN本体を守るために組織が出した結論だろうと、おぼろげに見える暗い核心を、素知らぬ振りで塗り込めた。
「キクチの諸君はよくやってくれました。ですが、こうなってしまった以上、キクチを守るのは得策とは思えません」
 これで、元の生活が取り戻せるのだろうか。あの、佐伯克哉という男と関わらずに済むのだろうかと、安堵にも似た気持ちで切り出した御堂に、大隈は思いもよらぬ提案を示したのだった。
「しかし……”彼”は惜しい」
「……彼?」
 名を出さぬ大隈の老獪さに内心で舌打ちしながら、御堂もまた理解出来ぬといった顔で問い返す。
 鼓動が早鐘を打ち始め、鎧のように纏ったスーツの内で、汗が伝い落ちる。
 そうと気取られぬよう奥歯を喰い締める御堂の先で、大隈は当然のように言い放った。
「もちろん、佐伯くんだよ。彼ほどの人材は、MGN(ウチ)の中にも見出すのは難しいだろう」
「……」
 同意は、出来ない。いや、絶対にしたくなかった。
 「接待」と称したあの夜から、佐伯が己にしたことを思えば、臓腑が煮えくりかえる。
 彼の持つ小さな記録メディアが、どれほど御堂を震え上がらせ、雁字搦めにしているだろう。その後も抵抗出来ない御堂をいいように弄ぶ男。
 しかしそれより何より――もっとも恐ろしいのは、そんな克哉に抵抗出来なくなっている己の忌わしい身体(からだ)だった。もちろん、憎んでいる。あの男を殺してやりたいと思うほどに。それでも浅ましい肌は、克哉に触れられるだけで熱くなる。
 そんな自分を、御堂は既に持て余していた。
「私はね、御堂くん。彼をウチに迎え入れるよう、進言してみるつもりだ」
「専務っ……!」
 そう発したまま、言葉が繋げない。
 大隈の気持ちは理解出来ないでもない。あれほどの優秀な男だ。もちろんキクチに埋もれさせるのも惜しいが、このままみすみす他の同系企業に渡すわけにはいかないと考えているのだろう。
 もし佐伯が、MGNと同規模の企業に採用されたとしたら。自分にとっても大いなる脅威となる筈だ。そして、それこそを佐伯自身が望むだろう。真っ向から、完膚無きまでに御堂を叩き潰す日を。あのガラス玉のように感情の伺えない、底なしに冷たい瞳で。
「あれほど優秀な人材だ。きっと君の為にもなろう。御堂くん」
 うまい反論の言葉も見つからず黙り込む御堂に、大隈は畳み掛ける。 


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