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 御堂の執務室を訪ねれば、先方は不在で秘書の「御堂はただいま外しております」という事務的な返答が返るばかりだった。
 昼過ぎには体が空くと言っていたから、恐らくは自分に会いたくないのだろう。先ほど会議室で見せた御堂の不機嫌な様を思い出し、克哉はひとりため息を吐く。天岩戸をこじ開けて、中から不機嫌な女神を引きずり出してやろうかとも思ったが、それならば今しばらく時間を置いたほうが良い。
 今度こそ、自分から逃れようなどと思わぬように、徹底的に教育してやらねばなるまい。
 それにーー。
 そこまで考え、克哉はひとり笑う。
 MGNに来てからというもの、自分は御堂の前に姿を現さなかった。御堂に束の間の安息をもたらそうなどという、優しい考えがあった訳では当然ない。顔を会わせなかった数日の間、御堂は何回となく己のことを思い出しただろう。そう考えるだけで、腹の底からこみ上げるものがある。
 もちろん、憎しみと恨みごとにまみれた胸の内は手に取るように解る。それでも、あの高慢で孤高の存在である御堂の内面が、自身のもたらした嵐で狂う様を想像するのは何よりも克哉に愉悦を齎した。そして今日、久しぶりに会った御堂が見せた困惑の眼差し。
 それがどこから来るものか、克哉にはある程度の予測がついていた。
 御堂は克哉の中に、人間らしい感情を探していたのだろう。キクチを去ったことによる寂寥感と、MGNに拾われた安堵感を。御堂のことだ、それを感じることで、優越感に浸る心づもりもあったかもしれない。
 だが、克哉に月並みな感情を求めるほうが間違っていると、なぜあの男は気付かないのだろうか。あれほど人道に外れた行いをされていながら、克哉に人として当たり前の感情が存在するとでも思っているのだろうか。
 この眼鏡を手に入れたときから、いや、元々自分に「人間らしい」感情が存在していたのかは疑問だ。
「アンタを俺で一杯にしてやるさ」
 ――御堂。
 固く閉ざされた執務室のドアを見つめながら、克哉はその向こうに居るであろう、美しい男を思った。
 

「こんな時間までお仕事ですか?」
 さすがの御堂とて、夜間まで執務室のカギをかけたままにすまいとの読みは当たっていた。
 おおかたの職員が帰社した後のMGNは、昼間とは見違えるほどの静けさを取り戻していた。それでも、至る階に明かりが灯り、この巨大なビルはその命を止めることはない。人の気配がするフロアを抜け、御堂の執務室のノブを握れば、思うよりあっけなくその扉は開かれた。
「佐伯……」
 手にした書類もそのままに顔を上げた御堂の顔には、驚きと困惑、そして僅かな怯えが滲んだ。
 しかし一瞬にしてその怯えを隠した御堂が、強い視線で克哉を睨めつける。不機嫌を隠そうともしない様子に、込み上げるのは笑みだ。克哉の来訪は、御堂にとっても予想外だったのだろう。深夜ということのあって脱ぎ捨てられたスーツの上着が、ワードローブにかかっている。
 そのために強調されたベストの細い腰が、克哉を煽る。
「何の用だ」
 凍えるほどに凍てついた視線と口調。全身で克哉を拒否する御堂は、己にとっては敵を威嚇する小動物のようなものだ。どれほど口で抵抗しようとも触れれば熱くなる体は、克哉にとっては容易い獲物だ。
「もちろん、御堂部長に会いに」
「……こんな時間に、ノックも無しにか。礼儀知らずにも程があるな」
「そう思ってアポを取りましたのに、時間を開けて下さるどころか、席を空けていらっしゃった御堂部長にそのような誹(そし)りを受けるとは心外ですね」
 ことさらに慇懃な口調に、御堂の眦が吊りあがっていく。しかし、先ほど克哉との約束を反故にしたのは、御堂にも自覚があるのだろう。不機嫌なため息をひとつ洩らすと、僅かに視線を伏せた。
 それこそが望んでいた瞬間。
 克哉は御堂の後ろに回り込むと、その体を無理やり引き上げる。
 突然のことに抵抗もなく立ち上がった御堂は、よろけながら克哉にもたれかかる。それを後ろから体の向きを変更させると、目の前にある窓ガラスに押しつけた。頭を強く押しつけたために、満点の星を思わせる都会の夜景は、そこだけ御堂の吐く息で白くぼやけた。
「貴様、何をする!」
 後ろでひとつに纏められた手首をひねりながら、御堂がもがこうとする。それを器用に制しながら揺れる頭をガラスに押しつけた。冬も近付く高層階のガラスの冷たさに、一瞬御堂が息をのむ。それを楽しげに見遣りながら、克哉は靴で御堂の左足の踵に力を込める。足を広げさせまいと御堂の意識が足に向かった瞬間、素早い動きで上質なネクタイを引き抜き手首を一纏めに縛り上げた。
「……何をする? 御堂部長ともあろう方が、今さらじゃないですか」
「これをほどけ。こんな所でなにを考えている」
「いいじゃありませんか。それとも、会議室であのまま抱いて欲しかったのか?」
「馬鹿を言うな!」
 徐々に荒くなっていく息を抑えきれず、御堂は唇を噛む。そのまま克哉を睨みあげてくる瞳がたまらない。背筋をはい上る愉悦を隠しきれず、克哉は下唇を舐めた。獰猛な肉食獣さながらの仕草に、御堂の美しい喉仏が上下する。
 ああ、この男はこんな所まで美しいのだと性急にワイシャツのボタンに手を掛けると、そうさせまいともがき始めた御堂の髪が克哉に触れる。ガラス窓に全力で肢体を押しつけ髪を掴むと頭を固定させ、ボタンホールなど無視して首元に手をかければ、耳障りなほどひきつれた音と共に、御堂の首元のボタンが弾き跳ぶ。
「止めろ、貴様……うあっ……つっ」
 御堂の喉仏にガリ、と歯を立ててやれば、痛みに戦いた体が震える。このまま喰い潰してやろうかと思うほど魅力的な尖りを愛撫するかのように転がしていれば、御堂の肌が上気したのが解る。最も嫌いな男に急所を曝け出し、生死さえも克哉に預けたかのような状態で震える御堂。
「さすが、スキモノですね。部長。こっちもこんなになってるじゃないか」
 ざらりと舐め上げる舌に感じ始めたのか、御堂の下肢が僅かに揺れる。双丘が克哉の下肢に触れ、ハッとしたかのように顔をこわばらせる。
「おねだりですか? 堪え性のない」
「ち、ちがっ」
「アンタは、そんな男なんだよ。俺にこんなとこ舐められて感じてる。ああ、アンタ今、自分がどんな匂いさせてるか、知ってるか? 発情して、甘い匂いさせて、男を誘ってる。欲しくなってきただろ?」
 すり、と足の間を擦ってやれば、御堂の体が跳ね上がる。
 震えは既に隠せないほど酷くなり、荒い息と共に、涙が眼の端に滲む。しかし涙を流すまいと震える姿が克哉には心地よく映る。
 きつく、時に優しく肌を辿りながら克哉は御堂を煽った。涙の滲む目元ときつく握りしめられた拳に、この上なく興奮を抑えきれなかった。高層階から見る夜景を美しいものと楽しむ余裕は、御堂にはないだろう。こじ開けられる痛みに戦く体を抑えつけ、容赦なく律動を繰り返す克哉を呪う御堂の声が、ガラス窓に跳ね返って夜の闇を震わせていた―――。






		

	    

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