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『明日の結婚式は確か、キクチの同僚だったな。本多君も一緒なのか?』
『ええ。俺はともかく、本多は彼女と仲が良かったですからね』
『彼女……? 同僚というのは女性なのか』
 軽く目を見開いて驚きを表す恋人は、どこか幼い風情を漂わせる。愛おしさのままに、改めて御堂の細い腰を抱き寄せた。
『ああ。言っていなかったか?』
『いや、聞いたかもしれないが……というより、八課にも女性が居たんだな』
『……』
 あまりと言えばあまりな台詞に、さすがの克哉も押し黙る。もっとも当時の御堂が「掃きだめ」との呼び名さえあった”キクチの八課”の内情に関心があったとは到底思えず、克哉は苦笑を口元に上らせながら、細く長い首を引き寄せ唇を重ねた。
『居ましたよ。当然。ご存じなかったですか?』
『恐らく』
『男前で優秀な営業に夢中で、他は目に入らなかった?』
『……正確には、あまりの外道ぶりに、他に目を向ける余裕が無かった、だな』
『綺麗すぎる貴方が悪い』
『責任転嫁は、経営者としての資質を問われるぞ、佐伯』
 嘯いて見せた克哉に、眦を釣り上げ鼻をつまみ上げる。
 それでも御堂の目は楽しげな色を湛えたままで、口元も優しいカーブを描いている。まるで古(いにしえ)から伝わる神々にも似た、美しく峻厳なそのたたずまい。克哉の罪を許し、愛した御堂という人間の凛とした姿に、今夜も克哉は恋に落ちるのだ。
『責任なら、十分取っているでしょう? 貴方が望むままに。今夜だって、貴方が欲しがるのなら、いくらでも。……ねえ? 御堂さん』
 殊更低い声で囁けば、再会した夜を思い起こしたのだろう。
 頬に朱を散らして押し黙る様に、このまま冷たい机の上に押し倒そうか、本気で悩む。すると、危険を察したのだろう御堂がするりと克哉の腕を取り外し、流れるような動きで己の鞄を手に取った。
『私は、これで失礼することにする。社長、しっかり働きたまえ』
『それは、つれないですね。専務』
 尚も腕を伸ばそうとする克哉から距離を取った御堂は、執務室の入り口で振り返る。美しくセットされた前髪が柔らかく揺れるのに、心がざわめく。誘いかけるような、ゆったりとした瞬きに視線が外せない。
『美味いワインとチーズを見繕っておくから……早く来い、克哉』
 そのままぱたりと扉は閉められた。
 やられた。
 そんな言葉ばかりが頭をリフレインする。
 時を経てなお、御堂は軽やかに克哉の心をかき乱す。焦がれ、夢中になって、これ以上好きになることなど出来ぬと思うのに、御堂はそれ以上の鮮やかさで克哉を惹き付ける。
 他の誰でもない、ただ一人の人。
 逸る心を抑えることも出来ず、克哉はオフィスの電気を消すために立ち上がる。後には、シャットダウンを命じられたパソコンの明滅が残るだけ。





「でもなあ、ホントに若いよな。あの新郎。俺たちより3つも下だってよ?」
「若くて結構じゃないか」
 甘やかな昨夜に思いを馳せていた克哉は、見上げた際に目を刺した眩しい陽の光に、一瞬だけ眉をしかめた。ため息交じりの本多の真意が計りかね、適当な相槌を打つ。
 赤い絨毯の上では今まさにブーケトスが行われる所で、新郎新婦の手前に妙齢の女性達が集まり始めていた。我先にと並ぼうとする彼女達を横目で見遣れば、いいアングルを探して動き回るカメラマンが脇を通り過ぎて行った。
「そうかな。あの歳で一生を決めちまっていいもんか……。俺なら悩むような気がするんだけどな」
「悩むなら、止めろということだ」
「お前なあ……。簡単に言うけどよ……」
 事もなげに言いきった克哉に、さすがに本多が鼻白む。いささか気分を害したのだろう、シャツの襟元に手を掛けると、ネクタイを緩めてみせる。本多が落ち着こうとする時によく見せる仕草だ。
「じゃあ、克哉。お前は悩まないっていうのか? 絶対に? 自分の一生を決める相手なんだぞ?」
 尚も言い募ろうと鼻を膨らませる本多を制するように、克哉は笑って見せる。
 それは今まで本多に見せてきた、どの笑顔とも違う。いや恐らく、これまで本多が見たことのない笑顔に違いない。MGNを辞め会社を興すと告げた時でさえ、克哉はこんな笑みを見せた記憶はない。
「ああ。絶対に悩まない。ただひとりの相手だ。俺の、運命だからな」
 ぽかん、と。
 これ以上ないほど驚いた表情の本多というのも、なかなか面白いと克哉は思った。
 恐らく、克哉の口から「運命」などという言葉が飛び出そうとは、さすがの本多も想像だにしなかったに違いない。眼鏡を掛ける前ならまだしも、今の克哉から「運命の恋人」という言葉を連想するのは難しい。おおよそそういった超自然的なことを鼻で笑い飛ばしそうな克哉の、しかし本気の色を宿す瞳を、本多が瞬きもせずに見つめている。
「……そういう相手が、見つかった、のか?」
 ようよう口にした相手に、今度こそ、にやりと笑って見せる。
 敢えて言葉にする必要もないだろう。御堂と会社を興してから、克哉の雰囲気が随分変わったことに本多も気づいている筈だ。まさかその「運命の相手」が御堂とまでは、思い至らぬだろうが。
「そう、か。……良かったな。うん。良かったな!」
「痛いぞ、本多」
 自身を納得させるように二、三度と頷きながら、本多はバシバシと克哉の背を叩いた。そのままニカッとわざとらしく歯を見せた後で、困った犬よろしく、眉をハの字型にしたまま首を傾げる。
「じゃあ……当然二次会は来ない……よな?」
「ああ。新郎新婦に祝いの言葉を言ったら、早々に帰らせてもらう」
 二次会など、よりよい結婚相手を探す席のようなものだ。
 そんなものに出席するつもりはさらさら無いが、万が一にも出席したと御堂に知れた時のことを考えると、恋人の機嫌を取るのに随分骨を折りそうな気がする。
「お前目当ての子、いっぱいいるんだけどな」
 諦め半分、祝福半分の口調で、『ま、しょうがないか。彼女さんに悪いもんな。今度、ちゃんと俺にも紹介しろよ!』と本多は笑った。
 事実、先ほどから落ち着かない調子で自分に向けられる視線の数々に、気づいては居た。
 目いっぱい着飾った女性たちが、あちこちから物言いたげな視線を送ってくる。それは、あからさまに誘う言葉を待つものや、いつきっかけを掴もうか探る視線であるのも解っていた。
 しかし全く答える気のない克哉にとって、それは何の意味も持たないもので、結婚式の二次会などに費やす時間すら惜しいと感じる。今は一刻も早く帰り、愛おしい恋人を抱きしめたい。ただそれだけだ。自分の「運命」を抱きしめたい。
 

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